理系大学生の戯れ言

底辺理系大学生が書く戯れ言

【英文法】英語の勉強を舐めていた【理系大学生】

英語の勉強を始めたのは中1のとき。あまり英語に興味は無かったが、兄が通っていた英語塾に通えと母に言われたため通うことに。

当初から英語の勉強に対する違和感は全く感じていなかったように思う。というのも、それまでの13年の生活の中でI'm~やhelloやらの簡単な英語に触れる機会があったからなのだと思う。

塾へ通っていたのは1年生から2年生の2年間。塾の先生が辞めるというのでそんな中途半端な期間になってしまったが、その2年間で中学3年間で学ぶ英語の範囲は全て教えてくれた。

それから中3までは、英語に関しては学年ぶっちぎりだった自信がある。当時の私のアイデンティティは英語だった。

 

 

高校のとき

そして高校へ進学し、1年生のときに英検2級を取得する。ただこれは奇跡的な事で、合格ラインを50点上回った程度の点数だったことを覚えている。この頃でもまだ自分は英語ができる人間だと錯覚していた。

というのも2年、3年と進級していくにつれ大学進学を考え始め、そのための英語学習を始めたとき、文構造や文法を全く意識せず英語をやっていたことに気がついたのだ。

SVOだの分詞構文だのなんだのと先生から授業されるが、私はそんなことを考えず英語を解いていなかった。しかしそれでも点は取れるから不思議だった。

受験勉強を進めていくうちに周囲が英語の勉強の際に「文構造が~」とかなんだとか話している。私は全く分からなかった。でも模試の点数は上がっていく。そして理解しようとする気がなくなった。

いつしか私のなかで英語は「点を稼げるが苦手な教科」という認識になっていた。

ここまで書いていると、英語ができない人からすれば嫌みに聞こえてしまうかもしれないが、私自身こんな学習ではいつか限界が来ると感じ恐れていた。

 

今思うこと

大学生になった今、TOEICの勉強をしていて分かったが、空欄補充問題において文構造から答えを導くことの重要性をひしひしと感じっている。高校の時のツケがここで回ってきた。

 

日本人である私は日本語の文構造を意識して話しているのか?文を書いているのか?いやそうではないだろう。と自問自答して文法の勉強を怠る言い訳にして逃げ続けてきた事を後悔している。

 

今の私の状態は英語を理解する事はできても英語を使いこなすことのできない人間なのだと思う。

私は手に、頭に、耳に染みついた英語のフレーズを使って英語を理解していたに過ぎず、それは暗記となんら変わらないものだ。皮肉にも私の嫌う暗記を知らず知らずのうちにずっとやってきていたのだ。

文法というものはその暗記という過程が無くしてフレーズを利用できるようになる便利ツールである。

 

直近で困ったことがあるのでそれを例に取ろう。

問:(省略)~inclease by ______ three percent next year.

選択肢:(a)approximates (b)approximation (c)approximate (d)approximately

 

答えから言うが正解は(d)approximately

approximate達の意味は「おおよそ」ぼんやりと意味自体は知っていたが、使ったことは全くない。

選択肢からして品詞の問題である事はわかり、単語の意味もぼんやりとだが分かる。しかし後ろに来る数詞「three」を修飾するのが形容詞なのか副詞なのか分からなかった。

形容詞が名詞のみを修飾することは英語の時間に習うのだろうが、ぽっかりとその知識が抜け落ちている私には2択を迫る問題なのだ。

 

後悔

私は今でも文法を軽視する癖が抜けきらずどうにも英語に積極的になれない。

正直ずっと心のどこかで「英語直感的に分かる俺かっけー」状態だった。まじぶん殴りたい。くっそ恥ずかしい。

 

これからはこのブログ上だけでも自分の弱点に向き合いたい。いつか英語でブログ書き始めちゃうかもね。