理系大学生の戯れ言

底辺理系大学生が書く戯れ言

大学一年生が終わって考えること

大学一年生が終わった。

月曜日に最後の授業に出席し一年が終わってしまった。

せっかくなので大学生となっての初めての一年間を振り返ろう。

 

と思ったが振り返るほどのことをしていないことに気がついた。

私はセンター化学42点という最強の実績を携え化学・材料系の学部に入学した。そのためこの一年間は化学の知識を蓄え、授業についていき落単しないことを何よりも優先させてきたつもりだ。もちろんマイナスからのスタートだ。振り返るほど多様な経験をしている余裕など無かった。

 

そんな経歴のため、この一年間非常に悩んできた。

高校生の時に思い描いていた姿になれるのだろうか。いやもはやこうなってしまった以上不可能だ。と自問自答を繰り返してきた。

そして今でも時々、「なぜ化学を勉強しているのだろうか」と違和感を感じることもある。

しかし私の所属する学科における席次は上から数えた方が早い。おそらく周りは化学が好き・得意でここに入学した者ばかりだろう。この環境でもそこそこやれていることが数字で表され、そしてなにより自分でも化学の勉強に可能性を感じている。

この違和感と可能性の間で自分のアイデンティティの喪失・確立を同時に感じている。

 

今私が勉強をする理由は何なのだろうか。

入学前に私がやりたかったことは物理。それは単純に物理が勉強していて最もおもしろかった教科だからだ。そして機械を、ロボットを作ってみたかった。なら機械系だろうと考えていた。今思い返せばそれは何か(機械だけでない)を自分の力だけで作ってみたいという欲望、そしてそれを手段として誰かに認められたいという自己顕示欲からなるものだった気がする。

入学後に気づいたことだが工学部なら基本的に何か形に残るものを作るための勉強をする。結果として私のこの欲望と自己顕示欲はいずれ概ね満たされることになるのだろう。

 

となると私の感じる違和感はどこから来るものなのだろうか。

理想を求める自分と、そど理想から乖離した自分の両方が混在する。

高校の時に創った機械系の分野で勉強する理想の自分を追い求めていながらも、実際には化学を勉強する自分を認めつつある。

私はプライドだけは人一倍高いため、化学を勉強する自分を認めている姿を周囲に見せつけようと虚栄を張っているだけなのかもしれない。

 

こんな状態で一年生を終えていいのだろうか。

 

ずっと思考が進んでは堂々巡りを繰り返す。きっと何かを成すまではこの違和感と共に生きなければならないのだろう。違和感を感じずに化学と向き合える日が私に来るのだろうか。いつかそんな日が来るのだろうか。来たらいいな。