理系大学生の戯れ言

底辺理系大学生が書く戯れ言

自粛要請が私の心に平穏をもたらした。

ここ最近、緊急事態宣言の解除が成されそうな流れがある。

多くの人からすればそれは喜ばしいこと、嬉しいことに感じるのだろう。

しかし私は違う。

 

緊急事態宣言に伴う自粛要請。それは学校への進入さえも禁止する強大な力を持っていた。私が在籍する大学も例に漏れず、オンライン授業とともに大学構内への立ち入り自粛が進められた。

 

正直に言うと、私は外に出ることが嫌いだ。

なぜなら外では不特定の人間からの視線があるからだ。それは私の自意識過剰であるが、大学構内という場所に関して言えば、数千から一万人程度の人間が在籍するのだから、人の目を気にしないというのは不可能だろう。

 

事私においてはその意識が強すぎる。

外に出るだけでエネルギー(正確にはエクセルギー)の半分使われていた。

それがなくなったことで大いに自分のやりたいことに時間を、集中力を割くことが出来ている。

 

だからオンライン授業というものは、私からすれば日々のストレス軽減と仕事量の増加の最も大きな役割を担ってくれている重要なファクターなのだ。

幸いなことに、我が大学は一学期の授業はすべてオンライン授業で実施すると宣言してくれているのでそれまでは安心だ。

 

そしてもう一つ外出自粛により私の精神的負担を軽減させてくれている事象がある。

それは、劣等感の軽減だ。

 

前述の通り、外出自粛になる前の生活では、外に出ること自分の思うように日々の生活が送れていなかった。自分の理想というのは、より勉強をしたいだとか、なにか生産的な活動をしたいだとかのことだ。しかし大学に行って帰って来るだけにもかかわらず、それらをする気力が残っていない。そんな自分に劣等感を感じていた。

 

しかし、平日に外に出なくて良いだけで、自分の理想とする時間の使い方が出来るようになった。こうしてブログを書けているのもいわば外出自粛の恩恵なのだ。

 

そしてこれは私だけが持つ考えなのかも知れないが、外に出るというのはそれだけで人間的にアドバンテージであり、それが今ではそのアドバンテージが小さくなっている。そんな気がするのだ。

 

毎日大学に通い、サークル活動にも参加し、レポートを書き、それでいて自身の趣味などに積極的に取り組む人間を見て、私は心底うらやましく、妬ましく思っていた。

私がアドバンテージというのはそいったことからなのだ。

 

正直自分の考えを文字に起こすのは難しく、この記事に関してはぶっちぎりで何が言いたいのか分からないと自分でも感じる。

 

ただ、外出自粛が(大げさかもしれないが)私を救ってくれたのだ。それがもうすぐ終わってしまうのだと思うと不安が募るばかりで、どうにかして発散したく、こんな駄文を書いてしまった。

 

私はこれからも外出自粛を続ける。いっそ墓の下で暮らそうかな。土葬なら手間が省ける。土葬でどぞーって。